25歳で舞台女優になり、46歳で結婚――
人よりやや遅咲きのその人は、今、人生を共に歩む同士を得て、艶やかな大輪の花を咲かせている。
芝居中心の生活から、46歳で結婚へ
今世紀最高の舞台女優のひとり。
出雲阿国の再来。
演劇界ではそんなふうに形容されて久しい白石加代子さんだが、実は恋愛に関してはかなりの奥手だったようだ。
「夢中で芝居をやってきたから、恋愛にエネルギーを残しておけなかった人間なんです(笑)。だから、恋愛のことでお話できることなんてないのよ」
勤めていた港区区役所を辞め、早稲田小劇場(現SCOT)に飛び込んだのが、25歳のとき。以来、看板女優として常に舞台の第一線で活躍してきた。
「ものすごくストイックな劇団で、恋愛はご法度だったんです(笑)。それでみんな水面下でそういう関係になっていたような……禁じられると、なおさらそうなるでしょ」
劇団を背負う立場だった白石さんにとっては、恋愛はいつも二の次だった。 だが、40歳を過ぎたあたりから、とても“枯れてやせている”自分に気づく。
劇団の本拠地は富山県・利賀村。しかも、全国のみならず世界各地を飛び回っていたため、東京の住まいには荷物を積み替えに帰るだけの生活。親兄弟からも離れ、日常生活では余分なものがどんどん削ぎ落とされていた。
折しも、ギリシャ悲劇など、様式的な芝居をやっていた頃。歌舞伎よりも能のようだったというその舞台で、猥雑なものを徐々に削ぎ落としていった末に見たものは、猥雑な日常生活から受け取る豊かさをまったくもたない自分の姿だった。
「日常生活のなかからもらえるものも、きっとあるはず。あるときを境にそう思い始めたんです。それで、結婚もしてみたいなぁって思うようになったんですよ」
そんなとき偶然再会したのが、元劇団仲間の深尾誼氏だった。
もともと劇団にいたときから最も仲の良かった人。だが、深尾氏が退団してからはお互い一度も顔を合わせることなく、10年の歳月が流れていた。
「まるで神様のお導きのようだった」と、白石さんは当時を振り返る。そして、再会の一年後、結婚。46歳だった。
「年齢的にも今しかないっていう感じでした。それに、結婚生活からいろんな滋養をいただきたいと思って踏み切ったんです」
「私が先に、彼をとっても好きなんだと思います」
「わぁ、またふたりの話になっちゃって嫌ね」
照れ笑いしながら、それでも深尾氏について包み隠さず話す白石さんは、実に初々しく、艶やかで女らしい。
深尾氏と結婚したことを「方々で宝くじに当たったと言っているの」という言葉のとおり、結婚後13年経った今も、堂々と惚気る。
――どうしてそんなに仲睦まじいんでしょう。熟年離婚やセックスレスなど、夫婦の危機ばかり話題になっている時代だというのに。
そう問いかけると、こんな答えが帰ってきた。
「それはやっぱり私が先に、彼をとっても好きなんだと思いますよ」
フフフと笑いながら、白石さんは続けた。
「理屈じゃないのよ。それこそ恋心、といっていいくらいのもの。それは一緒に暮らしていても消えることはなくて、自分でも何かはよくわかりません。でも、下世話な言い方をすれば、“タイプ”ってことかしら(笑)」
少し離れた場所で深尾氏が、白石さんが話すのを静かに見守っている。
「彼の穏やかな性格も大好き。たぶん彼には、私が彼をとっても好きだっていうのが見えるから、親切にしてやろうって思うんじゃないかしら。本人に聞いてみないとわからないけど(笑)」
そう言ってチラリと深尾氏を見やる。ところが、どうやら一概に白石さんの言葉どおりとはいえないようなのだ。
「結婚してみたら、思いのほかいい男だったんです」
「いつまでも君の舞台を見続ける」
白石さんより12年早く劇団を去った深尾氏は、去り際、白石さんにこう言ったという。実はその約束は、ふたりが顔を合わせない10年間の間、ずっと守られていた。
「『深尾が観にきている』っていう噂は耳にしていました。でも、だからといってわざわざ会いにいって『こんにちは』とも言うことはありませんでした。彼も楽屋には決して来なかったし。劇団を退団するということは、反旗を翻すということ。一枚岩の集団から出て行く人間に対しては、みんなが白い眼で見るようなところがあるんです」
自分が退団した劇団の看板女優を妻にする、というのはそれ相応の覚悟が必要だったであろう。
晴れて白石さんの夫になった深尾氏は今、妻の公演には必ず同行し、舞台を観る。そして、夜は疲れた妻の体を丁寧に揉みほぐす。
「女優・白石加代子をいちばん観ていてくれる人。本番は演出家以上に観ているでしょうね。舞台がダメだと、彼はキツイことを言ったりもします。そうすると、大抵言い争いになるんですが、外の人から指差されるよりは、身内にしっかりダメ出しされるほうがいいでしょう? 演出家よりももっと細かく、本質的なところを突いてくれるのが、彼なんです」
「それにね」と、白石さんは付け加えた。
「彼は本当に癒してくれるんですよね。体をほぐすだけでは、ほぐれないところってあるでしょう? 彼も芝居をしていたから、舞台ではどんなふうに大変とか、こういうときは気分がいいとか、そういうすべてわかってくれる。勝手なことを言っちゃえば、私が支えてもらっているんですよ(笑)」
支えられる女と支える男。どちらも明確に自分の役割がわかっているからこそ、白石さんが結婚後まもなく退団し、独立した後も、手を取り合って舞台という“修羅場”を乗り越えてこられたのだろう。
「一緒に過ごしてこんなに楽しい人と暮らして、改めて結婚てこんなに楽しいものかと思ったんです。それは、やっぱり会話のせいでしょうね。私たちの世代の男性は、女の人と楽しく会話できない人が多いんじゃないかしら。でも、彼とは本当に馬鹿馬鹿しい会話が楽しい。結婚してみたら、彼、思いのほかいい男だったんですよ(笑)」
深尾さんは今、自らビルの管理会社を営む傍ら、この春からは白石さんの専属マネージャーも務めている。
「彼は文字どおり二足のわらじ生活。でも、今は私のことでてんでこまいで、自分の会社の社長さんをクビになりそうなんです(笑)」
温めた末に飛び込んだ舞台と結婚の意外な共通項
白石さんは5歳のとき、結核で父親を亡くした。家計は苦しく、長女として働く母親を支える一方、辛いことがあると亡くなった父親と交信するような空想癖のある少女だったという。
舞台の世界に魅せられたのは、小学生の頃。学校にやってきた児童劇団の芝居を全校生徒で観たのがきっかけだった。中学時代には、いつしか劇団に入りたいという思いは固まっていた。しかし、高校卒業後、実際に入ったのは区役所だった。
「弟が聞くとすぐに『そんなの時効だ』って怒るけれど、弟が就職するまでは家計を助けなければと思ったのね。それで、弟が無事就職した25歳の春に区役所を辞め、早稲田小劇場に入りました。当時は劇団といえば、俳優座と民芸座、文学座の大劇団しか認められていなかった。でも、25歳では遅すぎて入れてもらえなかったんですよ(笑)」
思いを温めに温めた末、足を踏み入れた舞台女優の道。それはどこか、白石さんの恋愛や結婚の仕方にも似ている。そう指摘すると、「今、気づいたわ。我慢の人生ねぇ。おかしい」と、白石さんは明るい声を立てて笑った。
だが、だからこそ、今手の中にあるすべてを大切にできるのだろう。手にしていなかったときの気持ちを、今もまだはっきりと覚えているから。
無類の練習好きである。「たとえ練習であっても、同じものは二度とできないんですよ」と、白石さん。
“鮮度”こそ舞台の命。そう考える舞台女優は、男と女の鮮度も大切にしていた。
インタビュー終了後、どうしても深尾氏に聞いてみたいことがあった。
――深尾さんにとっても、白石さんは忘れがたい女性だったんですよね?
深尾氏は少し恥ずかしそうに、けれどはぐらかさずにこう答えた。
「ハハハ……そういうことでしょうね」
――やっぱり“タイプ”だったってことですか?
「ハハハハハ。そういうことにしておいてください」
何年経っても、いくつになっても、男と女は相思相愛であり続けることができる。誰もが諦めがちな、けれど、誰もが理想とすることを、このふたりは身をもって実証し続けている。
白石加代子 Kayoko Shiraishi
1941年、東京都生まれ。67年に港区区役所を退職し、早稲田小劇場(現SCOT)に入団。70年、『劇的なるものをめぐってU』に主演し、劇界に異彩を放つ。ギリシャ悲劇公演で、第一回観世寿夫記念能楽賞を受賞。SCOT退団後、92年より岩波ホール発・白石加代子『百物語』シリーズ、02年より『源氏物語』を開始。96年『百物語』、98年『身毒丸』で読売演劇大賞優秀女優賞、01年『グリークス』、『百物語』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。05年春の叙勲で紫綬褒章を受章。現在、NHK大河ドラマ『義経』に出演、並びにナレーションを担当。 |
|
|