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内館 牧子さん  (Stage Style 2003年11月号)

夢に向かって“飛んだ”人、“飛ばなかった”人を見つめ、描き続けた人気脚本家が、50歳を過ぎて飛び込んだのは、好きな相撲を心行くまで愉しむ、学びの世界だった。


内館 牧子さん

部類の相撲好きがこうじて
東北大学大学院へ

この4月から東北大学大学院に在籍し、週4日宗教学を学んでいる。10月からはなんと週5日、仙台にある大学に通う。学業優先のため、“脚本家・内館牧子”は、現在休業中だ。
「この夏、大学のフィールドワークの一環で、友人と青森の恐山に行ってきたんですよ。東北大には、恐山について研究している教授や学生がたくさんいるので、この機会にぜひ行ってみようと思って」

日々新しいものを吸収している人特有の、喜びと興奮に満ちた瞳をきらめかせながら、内館さんはひと夏の摩訶不思議な体験を語り始めた。

恐山といえば、高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊山のひとつである。イタコと呼ばれる巫女が、あの世から仏を降ろす“口寄せ”はあまりに有名だ。
「それでね、実際にイタコに降ろしてもらったのよ。双葉山を」

筋金入りの相撲ファンである。しかも単なる相撲オタクでないことは、2000年に横綱審議委員会初の女性委員に任命されたことからもわかる。それにしても、イタコに口寄せしてもらったのが、双葉山とは。

そもそも大学院で宗教学を選んだのも、相撲の背景にある宗教を研究するためだった。
「相撲と神事は、密接に結びついているんです。日本には昔から『四本柱を立てて縄で結ぶと、そこに神が降りてくる』という宗教観があって、かつては大相撲の土俵の上にも四本柱が立てられていました。力士が取り組み前に塩を撒くのも、神のいる土俵に上がるのに自分の穢れをはらう禊の意味があるんですよ」

かつて某女性大臣が土俵に上がる上がらないの論争を巻き起こしたとき、内館さんは強固に反対した一人だった。
「女が土俵に上がれないのは、男女差別とかグローバリズムとは何の関係もないこと。宗教とかネイティブなものは、そう簡単には変えるべきではないんです。これが男女不平等とはまったく別ものだとわからせるためには、私は大学院で相撲と宗教を学ぶしかないって思ったの」

まったく、この人の相撲に対する並々ならぬ情熱には、心底恐れ入る。

亡き横綱・双葉山との
夢の対談が実現?!

さて、話を恐山に戻そう。時刻は夕暮れ。硫黄臭が鼻を突き、常夜灯が地獄の光景のように果てしなく続く境内は、人影もまばら。7月下旬というのに気温は11℃。麻のジャケット一枚の内館さんには、震え上がるような寒さだったという。
「境内に畳2畳分くらいのテント小屋がズラッと並んでいて、それぞれにイタコが座っているんです。白装束をまとって、長い黒い数珠を手にして……。ほとんどが盲目の女の人なのだとか」

イタコを通じて死者と対話できることを信じていたわけではなかった内館さんは、目当ての老イタコの前に座ると、呼び出してほしい相手が双葉山とも力士であるとも告げず、ただ「知人を呼んでください」とだけ頼んだという。もちろん生前の双葉山と面識はない。

口寄せに必要なのは、命日と戒名。内館さんが、双葉山のそれとわかるはずもない戒名を読み上げると、イタコは津軽弁で「わかりました」とだけ言って、数珠をたどりながら経文を唱え始めた。すると、突然イタコの声音が低くなった。
「第一声は何だったと思います? 『一度も会ったことがないそなたが、わざわざこのような山奥によう訪ねてきてくれた』なのよ。会ったことがないなんて、どうしてわかるの! さらにギョッとしたのが、『私は地位も名声も名誉もすべて手にした。けれど、たったひとつ残念なのは、早く旅立ってしまったためにそのお返しができなかったことだ』って言うの。双葉山は56歳で亡くなったんですが、私は『知人』が早く死んだなんて、一言も言ってないんですよ!」

双葉山と思しき人の、さらに決定的な一言に、内館さんは震撼する。
「『あのときの黒星は……』って、イタコが確かに言ったんです。津軽弁だから一瞬聞き違えたかと思って、友人の顔を見たら、『私、鳥肌が立ってきた』って言うじゃない。もうこれは本物かもしれないって思うでしょう? !」

相手を双葉山とすっかり信じ込んだ内館さん。そこは横綱審議委員らしく、現在厳しい状況にある相撲界に対して、自分は何ができるか問い掛けたという。すると、双葉山の答えは「見ている、いつも見ている。大変なのはわかるが今のとおりでいい。必ず私が守るから」だったとか。そして、「今日はうれしかった。また呼んで欲しい」と言い残して、あの世へ戻っていったという……。
「死んだ人があの世から降りると考えるのは、日本人独特の死生観。日本では山にも針にも櫛にも、すべてのものに神が宿っているわけですから、キリスト教などの一神教が根付きにくいわけです。今回の体験で、日本人の宗教観への興味がますます増しましたね」

“何もできない”女の
悲哀を味わったOL時代

昨年末、初のノンフィクション『夢を叶える夢を見た』を上梓した。一瞬、手に取るのをためらうほど分厚い本である。自ら考えたという本の帯のコピーが、またすごい。「棺桶に入る時、あなたは後悔しないか」。

3年の歳月をかけて、実に100人以上の人物を取材した渾身の作である。本書では、夢に向かって「飛んでよかったと思っている人」「飛んで後悔している人」「飛ばないでよかったと思っている人」「飛ばずに後悔している人」の4つに分類し、それぞれの人生を追っている。自身、13年のOL生活の後、脚本家という夢に向かって“飛んだ”経験をもつ。
「もともと私は、結婚しても仕事を続けようとか、資格を取って一生仕事をしようとか、そういう意識の高い女じゃない。大学卒業後、コネで入社した会社は、2年経ったら結婚して辞めるつもりでした。なぜか当時は、早大ラグビー部の人と結婚するって確信してたんです(笑)」

ところが、入社した会社は、石を投げれば東大卒のエリートばかりに当たるような大企業。日頃から“男はアカデミックよりダイナミック”と言い続けていた内館さんが、ひ弱なエリートで満足するはずもない。あげく仕事といえば、コピーや電話番、お茶汲みなど、地味なことばかり。大学で学んだデザインなど、何の役にも立たなかった。
「でもそれでよかったのよ。だって、2年で辞めるつもりだったんだから。そのうちだんだん年を重ねて……」
20代後半に突入し、焦りを感じ始めた内館さんは、料理学校や洋裁学校など、さまざまな学校に通い始める。
「でも、私、所詮そっちじゃないのね。エリート社員と付き合ってみても、まるでダメだったし(笑)」

同僚たちがエリートを捕まえようと躍起になっているなか、内館さんは結婚とは別のことに焦っていた。
「結婚したくて結婚した人は、まだ問題ないんです。問題なのは、“自分が何をやりたいか”、“自分に何が向いているか”が見つけられない人間。20代後半になると、“何もできない”女の悲哀をイヤになるほど味わうわけですよ。女は長く会社にいると『擦れる』と言われた時代。けれど、会社を辞めたところで行く当てなどない。早稲田や慶応といった一流大学を出ていても、女は絶対に出世できなかったんです。自分が必要とされないこと、やりたいことがわからないことが、苦しかったですね」

自分が活躍できる場所がない――当時の体験が、“何もできない”けれど必死に生きる女たちが主人公の内館ドラマの原点となり、『夢を叶える夢を見た』を執筆する原動力となった。

お金を得ようとする姿勢は
生きる気力につながる

内館 牧子さん

くすぶり続けていた内館さんが、ついに“飛んだ”のは、35歳のこと。40歳で念願の脚本家となった。実際に“飛ぶ”体験をした内館さんは、「人が夢に向かって飛べるのは44歳まで」という“44歳リミット説”を唱える。
「44歳を過ぎたら、必ずしもやり直せないということではないんです。現実には50歳過ぎて脚本を書き始めた人もいますし。ただ、これは非常に感覚的なものなんですが、新しい世界へ飛んだら新しい人たちとやっていかなければならない。知識もノウハウもない、しかも年上となれば、周りの人たちも扱いにくいでしょう。ただ、44歳ならまだ“やや若い”っていう印象があると思うんです」

では、そのリミットを悠に越えてしまった世代は、どうしたらよいのだろう。
「あくまでも私個人の思いなんですけれども、50歳過ぎた人は趣味に走らないこと。『趣味はお金を得る本業がなければ楽しめない』が、私の持論なんです」

しかし、実際には50を過ぎた人が、新たにお金を得ようとするのは、並大抵のことであろうはずがない。
「確かにそのとおりです。でも、趣味から出ないと、結局はある一線を飛び越えられないんですよ。たとえば絵を描くなら、まずグループ展に出品する。次に個展を開く。そして、どこか飾ってくれる店はないか、自分で売り込む。断られたら次に行けばいいじゃない? 現実に使ってくれるところがあるかもわからないわけだし。たとえお金を手にしても、交通費にも満たないギャラかもしれません。けれど、お金を得ようとすることは、技術向上につながるし、もっと言えば生きる気力にもなると思うんです」

50代の内館さんが、次に選んだ新世界は、好きな相撲を学ぶ道だった。
「50代60代の人たちが学校へ行くのは、すごくお薦めなんですよ。ただし、本音を言えば、私が薦めるのは“縛り”のある学校。高校でも大学でもいいから、入学試験があって、入学したら出席を取られて、レポートを提出して、学期末試験があって、ダメなら落とされるという“縛り”のある学校がいいと思いますね」

どんな人生も
真っ当に評価されるべき

先が見えないことはこんなにもときめくこと――内館さんは自身のエッセイにこんな言葉を綴っている。
「今も先が全然見えません。だからこそ、思ってもいないことが次々起こる。横綱審議委員になるとか、東京都の教育委員になるとか……。学生の間、2年も休業して仕事を干されたら、それはそのとき。別にムリして言っているわけじゃないんですよ。だって干されるときは、どんな手を打っても干されるものでしょう? だったら、自分の好きなことをやったらいいと思うんですよ。私の場合、クラシックのコンサートに行くよりは演歌を聞いてるほうがいいし、格闘技を観るほうがいい。ブームだからワインを飲むんじゃなくて、日本酒が好きならそれを飲み続ければいいじゃない?」

しかし現実には、好きなことをして生きている人、夢に向かって“飛んだ”人ばかりではない。“飛ばなかった”人も大勢いる。内館さんは、“飛んだ”人ばかりを評価する風潮をこう批判する。
「子供がいること、親がいることで、“飛べない”というよりは“飛ばない”人生を選択した人も、真っ当に評価されるべきなんです。会社を飛び出した勇気と、そこに留まると決めた勇気は、どちらも同じ価値があると思うんですよ。一方で、仕事しかない人間を、判で押したように『淋しい人生』と言うのも、とんでもない話。“仕事一筋”という生き方を、心底楽しんでいる人もいるわけですから」

いつ誰が言い始めたのか、「勝ち組」「負け組」という言葉。とかく明と暗に分けたり、誰かと比較したがる世の中で、どんな生き方も優劣をつけず丸ごと受け入れる内館さんの姿勢は、あまりに潔い。何かこう、都会を吹き抜ける一陣の風のような、そんな清々しささえ感じた。

東北大学大学院の講義の時間割がびっしりと書かれた愛用の手帳と学生証。「どこかに出かけるときは、この学生証で必ず学割をもらっているのよ(笑)」。だから、学割をもらい忘れたときは、悔しくて仕方がないのだとか。 知人の相撲絵師が、ひとつできるたびに送ってくれるという力士の人形コレクションも、今や15体に。貴乃花や曙など、そうそうたる顔ぶれが揃う。現在は高見盛を製作中とのことで、今から手元に届くのを楽しみにしている。 ひな祭りや菖蒲湯など、日本古来の行事が大好き。4月の花祭りに甘茶をかけるための仏像を以前からずっと探していたところ、狭山市にある骨董店で発見。江戸時代のもので、普段は玄関に置き、季節の花を飾っている。

内館 牧子 Makiko Uchidate

1948年秋田生まれの東京育ち。武蔵野美術大学卒業後、三菱重工に入社。13年のOL生活を経て88年に脚本家としてデビュー。以後、テレビドラマや映画の脚本を数多く手掛ける。代表作に『ひらり』『毛利元就』『年下の男』など。『夢を叶える夢を見た』(幻冬舎)等、著書多数。
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