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森山 良子さん  (Stage Style 2004年 1月号)

37年前のデビュー当時から少しも変わらぬ透明な歌声で、今なお第一線で活躍し続ける “フォークの女王”が、何とこの秋、念願のジャズ・シンガーとしてデビューを果たした。


森山 良子さん

37年間胸に秘め続けたジャズへの思い

ジャズ・シンガー、Ryoko Moriyamaデビュー!

先月発売されたばかりのニューアルバム『THE JAZZ SINGER』には、こんなキャッチコピーが踊る。

森山良子さんといえば、“フォークの女王”というイメージが強いシンガー。34年間歌い続けてきた『さとうきび畑』が、今再び注目を集め、昨年末の日本レコード大賞では、金賞ならびに最優秀歌唱賞を受賞。『涙そうそう』での作詩賞を加えて3冠に輝いた。

そんな森山さんが、今なぜジャズなのか。
「森山良子としての固定したイメージも大切ではあるけれど、ある面では私にとってとても邪魔だったんです。何かこう自分の一部分でしか音楽をやっていない、別の部分を全然出してない、そういうジレンマがいつもどこかにあって」

ジャズを歌いたい。けれど、聴衆が要求しているのは、フォーク・シンガーとしての森山良子であり、何よりもその澄んだ美しい高音だった。

一方で、「ジャズは売れない」そんなスタッフからの声も、幾度となく聞いてきた。
「売れないものを作っても、スタッフに迷惑をかけるだけでしょう。コンサートでこっそり数曲ジャズを歌ったりはしていたんですが、“ジャズだけを歌う”というシチュエーションを持つことはなかなかできなくて。私自身も、それを実現するのは、とても難しいと思っていましたから」

人々が求めていることを誰よりも理解しているからこそ、ジャズへの情熱は内に秘めたまま、ステージに立ち続けてきた。そう、37年間も。

森山 良子さん

“森山良子でないような”アルバムを作りたかった

ところが、ついに夢を実現する絶好の機会が巡ってきた。
「ジャズピアニストの島健さんと久しぶりに再会したんです。この人とだったらアルバムを作ってみたいって思って『実は私、ジャズやりたいんだー』って言ったら、彼が『やりましょうよ、やりましょうよ』とノッてくれて。それで『今だ!』って思ったの」

 森山良子ではないようなアルバムを作りたかった、という森山さん。五万とあるジャズのスタンダードナンバーから曲を選ぶのは、非常に苦労したとか。だが、言葉とは裏腹に、アルバム制作について語る森山さんは、実に活き活きとして楽しそうだ。既存の森山良子像を一つ一つ打ち砕いていく作業は、それはそれはエキサイティングな体験であったに違いない。
「ジャズではないけれど、このアルバムに入っていてもおかしくない曲をジャズテイストにアレンジしたり、『えーっ、こんなの歌えない』っていうくらい難しい曲に挑戦したり(笑)。でもそういうことがやってみたかったんです。やったことのないことをやって、自分の殻を破りたかった。多少凸凹していても、『森山良子の全然違う面が出ているね』っていうものを目指したんです」

森山 良子さん

親子三代に渡る音楽一家

ジャズこそ、森山さんの音楽のルーツである。日本のジャズトランペッターの草分け的存在、森山久氏を父にもつ。従兄弟に“ムッシュ”こと、かまやつひろし氏がいるが、彼の父親もまた、ジャズミュージシャンだった。
「育った環境が、もうジャズ、ジャズ、ジャズ。スタンダードナンバーを聴くようにセットされてたというか……普通の子供が童謡を聴くのと同じように、家の中にはいつもジャズが流れていたんです。ムッシュの妹と私は、姉妹のように育っているんですが、ムッシュの家でオママゴトしていると、隣の部屋からは叔父がペギー葉山さんや弘田三枝子さんといったお弟子さんをレッスンしているのが聞こえてきたり」

何とも羨ましい血筋、何とも贅沢な環境である。だが、天賦の才能や恵まれた環境だけに頼ってきたわけではない。プロミュージシャンにとって何よりも大切な基礎を、少女時代から徹底的に教え込まれた。たとえば、日系2世の父親からは英語の発音を、かつて声楽家を志した母親からは音程の指導を受けたのである。
「家で鼻歌を歌っていると、『良子、ちょっといらっしゃい。今のところ、もう一回歌ってごらん』って言われちゃうんです。もううっかり鼻歌も歌えない(笑)。中学生のときに私が『(将来は)歌を歌いたい』って言ったら、両親からは『それなら、きちんと音楽を勉強しなさい』と言われました」

友人と一緒にカントリー&ウエスタンのバンドを組む一方で、声楽やジャズのレッスンを精力的に受けた。
「今思うと、よくやっていたなって思うんですよ。でも、プロとして活動するなら、ある程度のレベルというものが必要です。それには勉強するしかありません。もちろん、もともと素晴らしい声の持ち主で、何の勉強もいらない人も稀にいますが、うちはどちらかというときちんとトレーニングを受けてきた家系。父も母もそういうふうに音楽をやってきたんです」

類稀なる音楽一家。そんな家風は、次の世代にもきちんと受け継がれている。31歳の長女はインディーズバンドを組み、26歳の長男、直太朗さんは、昨秋シンガーソングライターとしてメジャーデビュー。『さくら(独唱)』『夏の終わり』など、母親譲りの美声で立て続けにヒットを飛ばしている。

とはいえ、Jリーガーを目指してサッカーに打ち込んでいたはずの直太朗さんが、プロのミュージシャンになると宣言したときは、さすがの森山さんも青くなったとか。
「(直太朗には)そんなに音楽を勉強させてなかったし、ギターももうちょっとしっかり弾けないとまずいだろうって。でも気付いたときには、彼はもう100曲くらい書きためていて……」

あの、曲を作る集中力は我が子ながらすごい、森山さんはそう付け加えた。一時期、直太朗さんのそれは、森山さんのエネルギーを吸い取るほどのテンションだったという。
「私はいつも居間で曲作りをするんです。ところが、彼もまた居間で作る。曲作りの時期がダブったりすると、『ちょっと、あなたが向こうでやってよ』っていう感じなの(笑)」

陣取り合戦の一方、直太朗さんの背中を押したのは、他ならぬ森山さんだった。あるとき、直太朗さんが森山さんに自作の曲をもってきたときのこと。
「私が『いい曲ね』と褒めたら、彼が『歌わない?』って言うんです。だから、『自分で歌ってご覧なさいよ』って。そうしたら、すっかりその気になっちゃったらしくて(笑)」

森山 良子さん

『さとうきび畑』に寄せる思い

プロとしての責任、歌手としての使命。森山さんの発言には、そんな意識が常に見え隠れする。
「若い頃はチャラチャラ歌っていてもそれなりに許される部分があると思うんです。でも、大勢の人の前で長いこと歌ってきて、しかも『さとうきび畑』のような歌に出会うと、ある一つの大切なものは伝え続けなければいけないっていう思いはありますね」

大好きなラブソングさえ歌えれば幸せだったという森山さんが、歌手としての使命に目覚めたのは、12年前の湾岸戦争がきっかけだった。
「戦争が始まって、自衛隊がPKOで派遣されているとき、私はまだ自分の好きな音楽を中心に歌っていたんです。ところがある日、コンサートを観にきた母に『世の中がこんなになっているのに、愛だの恋だのなんてチャンチャラおかしいわ』って言われたんです。母はいつもそういう率直な意見を言う人で、棘のある言葉が返ってくることもあるんですが、非常に思い当たるふしがあるんですよね。いわゆる家族しか言えないことで、それは私にとっては非常に大切な意見なんですね」

自分の仕事で精一杯。世の中のことはもちろん、世の中と自分との関わりなんて見つめたこともなかった。だが、この一件以来、歌うことの意味、そして『さとうきび畑』に対する思いが、森山さんの中で確かに変化した。
「『さとうきび畑』は、終戦の日に沖縄で生まれた子が戦死した父親を思う歌なんですが、難しいし、長いし、テーマも重いし、できれば避けたいという気持ちがずっとあったんです。こういう歌をきちっと歌っていこうと自分が切り替わったのは、母の言葉が大きかったと思いますね」

ざわわ、ざわわ、ざわわ。同じフレーズの繰り返し。感情を吐露する歌ではない。むしろ淡々と情景を綴っている。若い頃はどうやって歌っていいかわからなかったというが、意識を切り替えた途端、歌い方にも変化が。
「この歌の中にこそすべてのエッセンスが詰まっているのだから、私が気張ったり小芝居をしたりして歌うことはないんだって思うようになりました。伝えようとしなくても、この歌はもっとエネルギーを持っていることにようやく気づいたんです。そうしたら、この歌がすっと自分の中に入ってきて、『いいんだよ、それで』って語りかけてくれるような気がして」

『さとうきび畑』を歌うことをあえて避けようとした時代もあったというが、森山さんのそばに、常にこの歌を呼び戻していたのは、他ならぬ聴衆だった。
「お客様がこの歌を聴きたいってリクエストし続けてくださらなかったら、どこかで歌うのを辞めていたかもしれません。私には歌いきれないって諦めていたかもしれません。でも、みなさんがこの歌を私に歌わせようと引っ張ってくれたんです。だからこそこんなにも長い間歌い続けてこられたし、この歌を歌っていこうという信念みたいなものが生まれたんだと思います」

50代は「もっと、もっと」色濃く生きる世代

50代半ばに差し掛かり、森山さんの歌手人生は輝きを増すばかりだ。
「50代って、面白い世代だと思うんです。自分がやってきたことを客観的に振り分けして考えたり、ある一つの焦点に向かってだんだん絞られていったり……。今までやってきたものが蓄積されて、非常に色が濃くなっていく世代かなって思うんですよ」

40代は迷いがあった。時代の流れに敏感な反面、流れに迎合するような、どこかに寄り添いたいと思うようなところがあったという。
「でも、50代になったら、ようやく大人になったという感じ。今は色の濃くなりかけているものを取捨選択して、しっかりと塗る作業をするとき。ただし、私はまだ余裕がないので、どの色に塗ろうかなって思っている状態なんですが(笑)」

好きな言葉は「もっと、もっと」。年間130回を超えるコンサート活動はもちろん、ジャズアルバム第2弾、第3弾の制作にも意欲を見せる。だが、何よりもやりたいことは、家で家族のためにご飯を作ることなのだとか。
「個々にはたくさん団欒しているんですけれど、あまりに走りすぎてみんなで一緒に団欒することを長い間していないので、母と子供たちのためにご飯を作ってあげたいんです」

本も読みたい。映画も観たい。習字やギターも習いたい。
「ギターなんて、『こんなに下手だったの』って思われたくないから、なかなか習いに行けないの(笑)。でも、よく五十の手習いとかって言うでしょ。今からでも決して遅くない、人間新しく始めることは何でもいいことだと思っているから(笑)」

森山さんの「もっと、もっと」はまだまだ続く。そして、そんな森山さんの歌声に、私たち聴衆は「もっと、もっと」酔いしれたいのだ。

写真館を営んでいた祖父が撮影した、若かりし頃の父・久氏のポートレートと、生前愛用していたト音記号のカフスボタン。「誰にとってもそういうものかもしれないけど私にとって父は、完璧な理想の男性なの(笑)」 父方の祖母が亡くなったとき、叔母が形見の水晶のネックレスをバラして金のチェーンを通して孫とひ孫に配ったもの。「ムッシュ(かまやつひろし氏)は持っていませんよ。これをもらったのは女の子だけなの」 10数年愛用しているマーチンのギターは、年間130回を超すコンサートで活躍する頼もしい相棒。普通のギターよりも小ぶりの女らしいフォルムがお気に入り。小柄な森山さんにも、非常に扱いやすいとか。

森山 良子 Ryoko Moriyama

1948年、東京都生まれ。67年『この広い野原いっぱい』でデビュー。ミリオンセラー『禁じられた恋』をはじめとする数々のヒット曲を発売。透明感のある歌声と歌唱力で、名実ともに日本のトップシンガーに。国内だけに留まらず、ニューヨーク・カーネギーホールをはじめ、ドイツや香港、韓国でも公演を行なう。
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