
トム・ハンクス、ディカプリオがリメイクする黒澤映画
近頃、黒澤映画の海外でのリメイクが相次いで発表され、話題になっている。すでに「生きる」は「Ikiru」という仮題がついており、志村喬の余命少ない公務員役をトム・ハンクスが演じる予定だ。「酔いどれ天使」は「Drunken Angel」として、三船敏郎のヤクザ役にレオナルド・ディカプリオが挑む。
もともと黒澤映画はこれまでも幾つかの映画にリメイクされ、モチーフとして採用されてきた。「七人の侍」(1954)が西部劇「荒野の七人」(1960)にリメイクされ、「隠し砦の三悪人」に登場する二人の農民、太平(千秋実)と又七(藤原釜足)が、「スター・ウォーズ」シリーズに欠かせない凸凹コンビ「R2-D2」「C3-PO」というロボットの原型となった。ジョージ・ルーカス、スティーブン・スピルバーグ、フランシス・コッポラらを筆頭に、海外の映画監督に黒澤明の信奉者は少なくない。
特に、お腹にズシリと響くような重厚な時代劇やヒューマニズム――こうした黒澤映画の原点を探すには、まず彼の少年時代から青年時代、そして兄の存在を紐解く必要があるだろう。
「創ること」「生」に向けた情熱
1910年、黒澤は東京で四男四女、八人兄弟の末っ子として生まれた。映画は教育上好ましくないものと言われていた時代、厳格だが革新的なところを持った明の父は連続活劇などの見物によく家族を連れていったという。そのため明は幼い頃から映画の洗礼を受けていた。
意外なことに、黒澤は小学校低学年まで泣き虫でいじめられっ子だった、と自著の中で告白している。作品に共通する「弱者への優しい眼差し」も、こうした時代と無関係ではないだろう。この時代から脱却できたのは小学校の担任教師や級友・植草の影響もさることながら、秀才で気性の激しかった四つ上の兄・丙午(へいご)の厳しい特訓の効果が大きかったようだ。
丙午はいじめられていた黒澤を何度も助けたが、同時に発奮させるため徹底的に罵倒したり、泳げるようにと突然水中に突き落としたりと、かなりのスパルタで黒澤を鍛え上げていった。こうした兄の厳しい特訓や小学校高学年に習い始めた剣道によって、黒澤は心身共にたくましい少年に成長していく。
丙午の影響でドストエフスキー、トルストイなどロシア文学を読み漁り、青年時代には丙午の映画館入館券を借りて、手当たり次第に映画を観てまわった。そして一時期はプロレタリア運動の政治活動へ身を投じた。後に黒澤は、この活動を「軽率で乱暴だった」としながら、その理由を「ただ日本の社会に漫然たる遺憾を感じて」と述べている。
こうした「世直し精神」を若者にありがちな青い正義感と見る向きもあるだろうが、その心意気は社会の底辺にある貧民の生活をいきいきと描いた「どん底」や、社会的な意義を目指して赤字覚悟で取り組んだ「悪い奴ほどよく眠る」の製作へと後につながっていったと思われる。
描かざるを得なかった「生の葛藤」
「俺は30になる前に死ぬ」。それが厭世哲学に傾倒していた兄・丙午の口癖だった。そしてその通り1933年、丙午は27歳の若さで伊豆の温泉旅館で愛人と服毒自殺を遂げた。関東大震災の時、死体の山から目を背ける黒澤に「よく見るんだ、明」とその光景を目に焼き付けるよう諭した兄。すべては恐怖を征服するためだったという。その兄の自殺は黒澤の死生観に強い影響を及ぼしたに違いない。こうした経緯が「生きる」に代表されるように「生の葛藤」を描く方向へ進ませたのかもしれない。
国内外から高い評価を受け、あらゆる映画賞を総なめにしてきた黒澤映画の魅力。それを一言にまとめるのは難しい。「七人の侍」に代表される圧倒的な躍動感、スケールの大きさと緻密さ、男性的な力強さと哀愁、人情、ユーモア――。枚挙にいとまがないが、そこには「死の克服」と「人生の肯定」という大きなテーマが常にあったのではないだろうか。 |