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盆栽と聞いて、知らない人はいないでしょう。針金をかけて植物の形を作る、日本の造形美。確かにそうです。今でもその伝統は受け継がれています。けれど、針金を使った盆栽は美しくない。そう宣言して30年以上、地道に活動を続けている盆栽家がいます。加藤文子さん(53歳)。 長い年月をかけて自然が作り出す美しさにはかなわない。迷い続けた20年後に、加藤さんがたどり着いた結論です。自分の感性を信じ続けることができた原動力とは何だったのでしょうか。 自分を表現する言葉=盆栽!盆栽の世界に、静かに革命をもたらしたひとりの女性がいます。盆栽家の加藤文子さん。実家は、盆栽の理想郷を目指して埼玉県に開村した大宮盆栽村(現さいたま市北区盆栽町)の老舗盆栽園。加藤さんの祖父と仲間たちが作った村といえば、実家の存在の大きさがうかがえるでしょう。 昭和50年当時、盆栽はまだ男の世界。女性盆栽家はいませんでした。友人と出かけたヨーロッパ旅行が、19歳だった加藤さんの心を動かします。自分を伝えられる言葉、表現方法を持ちたい、と。そして選んだのが、盆栽でした。 早速、父親の元に弟子入りしますが、大きくて根源的な壁にぶち当たります。盆栽の世界では常識ともいえる、針金を使って植物の形を作りこむことが生理的に受け付けなかったのです。 「私のなかでは針金をかけた盆栽がキレイに感じられなかったんです」 だから、針金かけの技術も覚えられない。師匠である父親との価値観の違いから意見の対立は大きなものになり、やがて破門。10年続いた修行は、ある日突然終わりを迎えます。明日から来なくていいといわれたのですから、独立するしかありません。 独立から10年。植物が教えてくれた進むべき道独立してからも、加藤さんの模索は続きます。けれど、盆栽に針金を使うことはありません。できることをやっていこう。そして、加藤さんが自分のスタイルに確信がもてたのは、独立後10年近く経ってからのこと。 「独立前から育てていた盆栽が10年を経て、それぞれ表情や個性を身につけてくれて。若い頃はまっすぐだった枝ぶりが、どこかやわらかくなって、本当に美しくなるんです。針金をかけて作る形よりも、日々の積み重ねでなしえた形のほうがずっと美しい」 そう確信できたと幸せそうに語ってくれました。 その影には、感性が響きあう陶芸家のご主人の存在も大きかったよう。10年という歳月を刻むには、精神的な支えなくしては難しいものです。
今も加藤さんが独立前から育てている盆栽のいくつかは手元に残っています。右の写真は加藤さんとともに25年以上歩んできたヤマコウバシという名の木。 年月が作り出す風格を感じます。けれど、10年、20年という長い歳月で盆栽の変化を見守り続けることは容易ではありません。どうしてこんなにも長い時間、待つことがなぜできるのでしょうか。 「待つことは、もしかしたらいちばん苦手なことかも。植物と出合わせてもらったおかげで、待つことの大事さを知りました。知っていたら、こんな大変な世界に入らなかったでしょう」 幼いころの病気が強さになったとき針金を使った盆栽は美しくない。自分の感性を信じ、確信をもつまでに約20年。盆栽の常識に迎合すれば、もっとラクに生きられたのに…。疑問を加藤さんにぶつけてみました。 「そんな器用さも、余裕もなかったの。できることしかできないから。期待に応えようと思うことは、とうの昔に諦めました」 じつは加藤さん、生まれつき足が悪い。股関節脱臼で小学生のころから遠足、運動会はもちろん、放課後も外で遊んだ記憶があまりないといいます。小さいころから人と違っていたから、違うことに抵抗もとまどいもなかったのだろうと振り返ってくれました。人間何が幸いするかわからない。弱点のはずの病気が、加藤さんに力を与えていたのですから。 そして13年前に、夫婦で那須へ移住。バブルに巻き込まれた大家さんから、立ち退いてほしいという、突然の申し出で、また大きく加藤さんの人生が動き出しました。思いがけず手にした自然あふれる那須の暮らしが、大きな収穫をもたらしてくれたと話す加藤さん。どんな実りなのでしょうか。その話は次回へ譲ります。 |
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