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トップページ > エンターテイメント > エンターテイメント インタビュー > 私の暮らしの中の白洲次郎・正子 (第1回)

白洲次郎・正子の娘婿、牧山圭男さんに聞く
私の暮らしの中の白州次郎・正子(第1回)

武相荘(ぶあいそう)

東京都町田市鶴川。新しい住宅地が形成された郊外に、ぽつんと、この地の古きよき面影を残す場所があります。白洲次郎・正子が長年住み、没後2人の記念館となった「武相荘(ぶあいそう)」です。養蚕農家の茅葺きの家が、見事なまでに往時のままの姿で建っています。まわりには竹林と、家を彩る庭木の花、石仏などが渾然一体となり、懐かしさを覚える風景を作り上げています。

白洲次郎・正子については、ご存知の方も多いことでしょう。亡くなって後に、その生涯や人となりが大きくクローズアップされ、世代を超えた多くのファンから、憧れの眼差しを向けられています。


『白洲次郎・正子の食卓』(新潮社)

彼らについて書かれた本は数多いのですが、最近発売された一冊に「白洲次郎・正子の食卓」(新潮社)があります。著者は2人の愛娘である、牧山桂子さん。白洲家で、桂子さんが両親のために作っていた料理の数々を、当時の思い出とともに紹介したものです。正子さんの実家で食べられていた薩摩汁、2人が大好きだったというローストチキン、お酒をたしなむ次郎さんが、カスタードプリンやあんこに目がなかった話など、それぞれの料理にまつわる思い出が、簡単なレシピとともに綴られています。

この本で注目したいのが、料理はもちろん、盛りつけた器とテーブルクロスの取り合わせです。無類の骨董好きであった正子さんが蒐集した器やテーブルクロスを、桂子さんが料理に合わせて選んでいます。魯山人の器もあれば、正子さんの好きだった作家に作らせた鍋、刺し子や刺繍の美しいテーブルクロスなど、眺めているだけで楽しくなります。

その中に、桂子さんの夫である牧山圭男さん作の器が幾つも登場していることに気が付きます。やきものに傾倒した正子さんの娘婿が、やきものを作っている-----なんだか面白いお話が聞けそうです。そこで、現在武相荘の館長を務める牧山圭男さんに、義理の息子から見た白洲次郎・正子についてうかがってみました。


ダンディズム漂う次郎、韋駄天の正子

 

お話をうかがう前に、次郎さんと正子さんについて、まだご存知ない方のために少しご紹介しておきましょう。次郎さんは戦後まもない頃、GHQの折衝役に当たり、吉田茂の懐刀と言われた人物です。日本国憲法の誕生やサンフランシスコ条約に立ち会いましたが、当時、GHQからは「従順ならざる唯一の日本人」と言われたと言います。自らのプリンシプル(原則)に忠実に行動し、マナーを欠けば、どんな立場の人間であろうと怒り、正しました。マッカーサー元帥を叱り飛ばし、謝らせたエピソードでも有名です。

明治生まれの次郎さんですが、当時の人間としてはめずらしく背は180cmあり、すらりとした長身でした。ケンブリッジ大学留学時に、英国仕込みのお洒落を身に付けます。一方で、当時まだ斬新だったジーンズを颯爽と着こなしたり、晩年には三宅一生のショーのモデルも務めるなど、写真に残る次郎さんのセンスと着こなしは、とにかく格好いい!のひと言です。外見やふるまいはもちろん、大局にあっても信念を曲げずに立ち向かった次郎さんの生きる姿勢に、今もって多くの人が共感するのでしょう。

正子さんは、美術評論家で随筆家として知られていますが、もとは華族の生まれで、祖父は薩摩藩出身で海軍大臣などを務めた樺山資紀、父・愛輔は貴族院議員、実業家として活躍しました。河上徹太郎や小林秀雄ら文化人と親交を深め、やがて骨董に没頭していきます。
正子さんには「韋駄天夫人」という著作があります。表題そのものが正子さんを表しているのですが、その中で自らを、こんなふうに書いています。

〈韋駄天とは、ひと口にいえば足が早いことである。それだけなら結構だが、私の場合、無秩序、無鉄砲、無制限、その他さまざまのろくでもない尾鰭がつく。〉

能、きもの、骨董…、一つのことに夢中になると、どんどんのめりこんでいく正子さんの姿が鮮やかに想像できます。死後、"本物の目利き"として、正子さんのライフスタイルに注目が集まり、大きなブームとなりました。2人が50年近く住んだ武相荘には、正子さんの蒐集品が季節ごとに飾られていて、それをひと目見たいと訪れる方も多いのです。


正子さんを意識して始めたやきもの作り

さて、牧山さんを訪ねた4月、武相荘の母屋の玄関には白いハナミズキが爽やかに飾られていました。「白洲次郎・正子の食卓」にまつわり、自らがやきものを作るようになったきっかけを、牧山さんはこんなふうに話してくださいました。

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「モノを作る喜びということのほかに、不純な動機もあったんです。僕は日本の歴史とか文化とか、そういうものの知識がなかったけれど、小林秀雄さんといった著名な方や編集者と、正子がこの家で楽しそうに会話している。その内容が、僕には何もわからなかった。これは勉強したほうがいいと思ったんですが、待てよ、正子はやきものが好きでいろんなことを言っているけれど、作ったことはないじゃないか。よし、これでいこうと」

面白いことをうかがいました。牧山さんは正子さんとは違う場所から、正子さんと同じ土俵に上がろうとしたのです。では、牧山さんがやきものを作り始めて、正子さんはどんな様子だったのでしょう。続きは次回、たっぷりご紹介します。

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