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トップページ > エンターテイメント > エンターテイメント インタビュー > 私の暮らしの中の白洲次郎・正子 (第4回)

白洲次郎・正子の娘婿、牧山圭男さんに聞く
私の暮らしの中の白州次郎・正子(第2回)

目利きの正子に褒められて

「正子はやきものが好きでいろんなことを言っているけれど、作ったことはない。それなら作ってみよう。そうすれば、正子や編集者、著名な人たちとの会話に乗る基礎ができるはずだ」

白洲家の娘婿、牧山圭男さんが陶芸を始めたきっかけは、こんな“不純な動機”だったといいます。それは今から30年以上前、牧山さんと、妻であり白洲家の長女である桂子さんが、武相荘の隣に引っ越してからのことでした。

その頃、百貨店に勤めていた牧山さんは、仕事で益子の作家を訪ね、陶芸の面白さに開眼します。「粘土をひねりながら瞬間的に立ち上がってくる、その造形力にびっくりしてね。やってみたいと思ったんです」。仕事で十分な時間も取れない中、土を買ってきて、夜中に帰ってきては土をいじったり。始めると、どんどん面白くなって、ついには自分で窯を持って焼くようになるまで、のめり込んでいきます。

「窯で焼くと誰かに見せたくなるじゃないですか。それで、正子に見せに行ったんです。窯から取り出したばかりの、まだ温かい器の中から、気に入ったものいくつかを持って」

初めて自作の器を見せたときの正子さんの反応は、どうだったのでしょう。

「それがどういうわけか、「あんた、うまいね」って言ったんです。感性とか技の世界で妥協を許さない、あの正子が。僕が婿さんだからお世辞を言うってこともあまりしない人でしたからね、こう言われてちょっとその気になりますよね。「いいものを見せてあげるから、たくさん見なさい」「いい土を使いなさい」と、しょっちゅう言われました」

ビギナーズラックかもしれませんが、と話す牧山さんの表情は、なんだか嬉しそうです。当代の目利きといわれた正子さんから、こんなお褒めの言葉をかけられたのですから、その後さらにやきもの作りに熱が入っていったことでしょう。お金がないときなど、なんと正子さんに自分の器を売っていたのだとか。「収入が増えてきたら、さすがにあげていましたけどね(笑)」


骨董の世界へ

桂子さんの著書「白洲次郎・正子の食卓」に登場する牧山さんの器は、正子さんが好きだった骨董の数々とともに使われています。古伊万里の皿に牧山さんの徳利を合わせたり、素朴な文様を施した牧山さんの小鉢にふぐの白子が盛られたり。牧山さんの器は、骨董の器とともに食卓に並べられても、なんの違和感もなく、しっくりとなじんでいます。

正子さんが器を選ぶ基準は「好きか、嫌いか」だけだったといいます。「誰でも簡単にできることだけど、正子はいいものを小さいときからたくさん見て、本も詠んで、多くの知識があった上での好きか嫌いか。そしてそれが、世間からある程度受け入れられたところが、すごいですね」

桂子さんと結婚した当初、牧山さんは白洲家の骨董の食器を見て、“なぜこんな薄汚い皿で食ってるんだろう”と驚きましたが、やがて見る目が変わっていきました。「やはり深みが感じられるようになって。むしろ今はぴかぴかの新しい皿より、古いもののほうがずっとしっくりきます」。このうえない先達に誘われての骨董入門とはうらやましい限りですが、「でも」と、牧山さん。

「たとえば本を読んで、じゃあ行ってみようかとなったら、そこから新たな世界が広がりますよ。普通の家には、器や布がそれほどたくさんはないだろうけど、この野菜を盛るならあの皿でとか、頭の引き出しからいろいろ出てくるようになるのは、楽しいことだと思います」

器はおいしいものを食べるための重要な要素。だからこそ、正子さんは料理を盛る器を非常に大事にしていました。自宅の食事でも、ときには盛られた器を取り替えたといいますから、徹底した美意識が働いていたのではないでしょうか。そんな正子さんの影響で、牧山家でも、どの皿にどの料理をどうやって盛りつけるかは、楽しみながらも気にしていることなのだそうです。


やきものを通した触れ合い

正子さんとのことで、牧山さんには心残りがあります。晩年の正子さんを訪ねて、やきものの話をしていた牧山さんでしたが、ひょんなことから銀座の画廊を借りて個展を開くことになりました。

制作に励み、器が出来上がるといつもなら正子さんに見せに行っていたところを、個展に来てくれるかもしれないからと、あえて見せなかったそうです。ところが、正子さんは個展を開く前に亡くなってしまいました。今でも悔いが残ると言います。

「亡くなるちょっと前に、僕が興奮して、正子さんに一方的にやきものの話をまくしたてたことがありました。何時間ひとりでしゃべったんだろう。正子さんは面白そうに聞いてくれていたけど、今思うと、あれは僕からのお別れの挨拶だったのかもしれません」

正子さんが入院した際には、牧山さんが作った湯飲みを病室で使っていたそうです。やきものを通じて2人は会話を育み、親子としての交流を温めてきた。そのことが、こうしたエピソードから伝わってきます。

では、次郎さんとはどんな父子関係だったのでしょうか。牧山さんいわく、「この人の前でいいかげんなことはできないって気持ちが、ものすごくあった」。次回は、次郎さんとの思い出を伺うことにしましょう。

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