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トップページ > エンターテイメント > はじめての碁会所 > 第1回「囲碁という日本の文化」

ネットで世界中の囲碁ファンと対局 はじめての碁会所

碁で人と文化を知る

はるかな昔から人の生活と囲碁が深く関わっている。興味深い知恵と歴史を紹介。
(毎月月末頃更新)

囲碁という日本の文化

 

川端康成は鎌倉幕府三代執権、北条泰時の末裔とか。それもあってか晩年の川端は鎌倉を好んで長く住み、逗子で自らの命を絶ちました。1972年4月16日。72歳でした。
川端に「直木三十五と碁」と題した随筆があります。(「文藝」1959年、作品社「日本の名随筆・別巻11、囲碁U」所収)

直木三十五が昭和9年に43歳で病没する前の十年ほど、川端は「直木氏の唯一の常習的棋友」で、互先であったという。直木の親友で、直木賞を設定した菊池寛も直木と「よく打った」ということなので、川端はそれこそ頻繁に直木と烏鷺を交えていたのでしょう。

川端が呉清源(ごせいげん、九段、1914-)と初めて会ったのは昭和7年1月の熱海。57歳の21世本因坊秀哉(しゅうさい)が呉清源と初めて対局した国民新聞主催「本因坊名人・呉四段対局」を、直木に誘われて観戦に行ったときでした。来日4年、17歳の呉清源の対局姿を間近に見た川端は「時々上目づかひに対局者をじろりと見る、瞳のみだれた眼に、不適な面魂を宿してはゐるが、その紅顔の美少年振りは、そぞろ哀憐を誘ふものがある」と書いています。

秀哉名人の顔について、直木が「私」に書いた有名な一節も紹介しつつ、次のように表せるのは川端をおいて他にいません。秀哉名人引退碁の観戦記を執筆し、それを小説化した「名人」は川端自身お気に入りの作品だったそうです。「名人」にも登場する呉清源と川端は終生親しくしました。

秀哉名人ときては痩身短躯、額が迫り、頬骨は張り、口は尖り、いかにも貧相である。元来の造作は気品など先づ薬にしたくもない顔と言ってよい。それが澄謐な高韻を発するに到ったのは、修練のたまものであることいふまでもない。直木氏のいはゆる「碁は無価値なやうで、考えやうに依っては絶対価値がある」所以でもあらう。

「私の知る限り、碁ほど精神を集中し、沈潜するわざはほかにない」と。さらに、「西洋にもいろいろと勝負事は多からうが、碁はそれらと自ずから趣を異にし、心境を尚ぶ東洋精神が籠もってゐる」とも川端は書いています。

囲碁は中国で誕生し、5世紀の書物に「手談」と記されています。言語や習俗の違いを超えて楽しめる囲碁は、古代から中国、朝鮮、日本で広まり、東アジアの共通文化となりました。そして碁は日本文化として発展します。

呉清源は13歳で来日したとき、すでに高段棋士に劣らぬ棋力に達していました。天才は1%の才能と、99%の努力によって生まれる。呉少年は北京で、官吏の父が留学した日本から持ち帰った高手の棋譜に学んでいたのです。重い打碁集を片手で持って毎日長い時間碁を並べたため、呉九段の手は今も少し反り返っています。

囲碁は江戸時代に多大な発展を遂げました。戦乱の世を終局させた徳川家康が碁を好み、幕府が棋士の身分を保障したことが技芸の発達を支えたのです。太平の世に、絢爛たる囲碁文化が花開きました。勝負が全てではない。高度な知性が凝縮している幾千の棋譜こそ日本の囲碁文化の粋です。

 (2003年11月作品)

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