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日本企業のトップを直撃! シニアコミュニケーション社長 山崎伸治対談 シニア型社会への指針

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第6回対談 マスターズリーグ 札幌アンビシャス コーチ兼外野手 若松勉さん

楽しんでほしい 若松勉 VS 村田兆治「あの速い球を体が打ちたがるんですよ」 (1/2)

マスターズリーグ
札幌アンビシャス コーチ兼外野手
若松勉さん


「小さな大打者」としてプロ野球ヤクルト(現東京ヤクルト)スワローズで大活躍した若松勉さん。ヤクルト一筋に19年在籍。現役時代は首位打者を二度受賞するなど、卓越したミート技術を持つセンス抜群の打者として知られ、俊足・好守の外野手としても定評がありました。通算安打は2173本、本塁打220本、打率3割1分9厘。通算打率は日本人1位、サヨナラ本塁打数8本はセリーグタイ記録で、打者としての勝負強さを物語る記録です。1989年現役引退。
1999年から7年間ヤクルトの監督を務め、2001年にリーグ優勝、日本シリーズも制して日本一監督に輝きました。 1947年生まれの団塊世代でもあり、現在はマスターズリーグの札幌アンビシャスでコーチ兼外野手として活躍しています。優しい人柄がにじむ語り口で、現役から監督時代の野球に対する思い、そしてマスターズリーグへの意気込みや同世代に送るメッセージを語っていただきました。

山崎: マスターズリーグには昔のスーパースター選手がたくさんおられて、同年代のファンの皆さんが大変楽しんでいらっしゃるようですが、若松さん自身はマスターズリーグにどんな思いで参加されているのでしょうか。

若松: 昔の仲間に会えることもあって、楽しんでいます。しかし実は、一番楽しみなのはユニホームを着て子ども達に野球を教えられること。自分が小さいころには、プロ野球選手から教えを受けることはなかったので、機会があったら教えたいとずっと思っていました。 試合前に子ども達に教えたり、指導者を対象にした講習会もあります。いままでやってきたことを皆さんにお伝えできるので、ゲームではないところでも非常に楽しんでいます。

山崎: 久しぶりにプレーをされて、昔の自分のイメージと違いはございましたか?

若松: 打つのは意外とそうでもないです。やはり走る方ですね。肉体の衰えをゲームですごい感じて、もう一度鍛え直さないといけないと感じています。実際のトレーニングはこれからなんですが(笑)。

山崎: 自分のあこがれだったスターを見に、たくさんのシニアの方が球場に足を運んで楽しんでおられると思いますが、シニアからの大きな声援を感じていらっしゃいますか?

若松: マスターズリーグにはたくさんのお客さんが来てくれて、すごい声援があります。 私自身は、村田兆治さんとの勝負を楽しみにしていますが、ファンの皆さんにも楽しんでいただけたらと思っています。 去年の対戦では140キロを超える速球を投げてきて、打ってファールになりましたが、この歳で140キロを打ち返す人はいないといわれました。ああいう真剣な球を見ると、体が打ちたがる感覚がある。でも、それが果たせず相当悔しい思いをしました。 周囲からも「今年も若松対村田の対決が楽しみだ」といわれています。「最高の対戦」という言い方をされることもあり、自分自身も燃えていますが、村田さんのストレートとフォークは力がないと打ち返せないんです。

山崎: 札幌は日本ハム・ファイターズの本拠地で北海道の方がみんなで応援していますが、マスターズリーグもそうなるといいですね。

若松: マスターズリーグでもたくさんのお客さんが応援してくれるので頑張らなきゃと思っています。所属している札幌・アンビシャスはおととし優勝。昨年が2位。やるからにはチームの力になって優勝したいですね。

目いっぱいチャレンジした現役時代打撃記録の数々と悔しい思い出と

山崎: 体が小さいながらバランスの取れた選手として知られていましたが、打つ、守る、走る、どれがお好きだったのでしょうか?

若松: 打つことがやはり好きでした。年間の三振数が14だけという記録を持っていますが、とにかく打ちたいという気持ちが表れた数字だと思っています。フォアボールで塁に出るのはイヤ、打って出たい、と思っていたぐらいです。

山崎: 思い出の試合や記録はございますか?

若松: 昭和53年の優勝の年がやはり思い出深いですね。前年には2試合連続代打サヨナラホームランという記録もつくり、印象に残っています。 生涯のサヨナラホームラン数は王貞治さんと同じ8本なのですが、あと1本打てばあの王さんを追い越せる状況。最後の3、4年は狙っていたのに果たせなかった。振り返ってみれば、うれしい思い出と悔しい思い出といろいろですね。

山崎: ご引退されたときはどんな思いだったのですか?

若松: 42歳のときですが、やめる年にもう一度レギュラーを取りたくて、キャンプから鍛え直したんです。それでも速い球に詰まって打てなかった。速球についていけなくなったというのは大きかったですね。それに、守備で外野にいるとホームベース付近がよく見えなくなってきて、目の衰えを痛感しました。ただ、19年間目いっぱい現役をやってきたので悔いはなかったです。チャレンジもしたし、清々しい気持ちでした。

山崎: 選手引退後は3年間解説者をされていますが、外から見る野球というのはやはり違うものでしたか?

若松: 選手のときは自分の仕事を一生懸命やっていれば、あとは監督がまとめてくれる。しかし、ユニホームを脱いで上から見てみると、全体が見える。監督、コーチ、選手の様子からバントやエンドランなど技術的なこと、野球に関するさまざまなことが外から見ると分かってきますね。

山崎: 解説者から指導者になって野球観は変わりましたか?

若松: 変わりました。解説者時代は1軍の試合しか見ないのですが、コーチになると若い選手を教えるのにどういう方法がいいのかを考える。自分が教わったことを押し付けてはいけないし、2軍監督のとき理解したのは、自分の最高のレベルで教えては選手は付いて来られないということ。新人、若い選手を教えた2軍監督のときは自分にとってもたいへん勉強になりました。

山崎: 監督時代、選手との関係で気をつけたことはございますか?

若松: 毎日の体調を見ることです。選手というのは監督には絶対本音を言わないんです。どこかが悪くても監督には「大丈夫です。試合に出ます」と言う。ただしトレーナーには本当のことを言っている。トレーナーの話を聞いて、選手をよく観察して話をしてみる、そういうことを続けていました。監督というのは元気な選手をゲームで使うために、毎日毎日聞き回るのが仕事みたいなものです。

山崎: 監督をやめられてから再び解説者としてお仕事をされていますが、また新しい感覚があったのではないでしょうか?

若松: 解説者としては、場面に応じてどうしてと聞かれたらすぐ答えられるようでないとダメなんです。結果だけ話しても仕事にならない。前もって先を読み、展開を予想する。間違えてごめんなさいと言ってしまうこともありますが(笑)。

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