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トップページ > 旅行 > コラム【海外旅行】 > オリエント急行物語(1/3)

華麗なる歴史を走り抜けた「青きプリマドンナ」オリエント急行物語

ベルエポックと呼ばれた時代、その列車は花の都パリを出発した。
高級ホテルのようなコンパーメント、 ビロードのカーテン、美しいグラスや食器、一流シェフが腕を振う料理。
人々は優雅な時間を楽しみながら、車窓の風景に、遥か東洋への憧憬を募らせた。

遥かなる東方へ

今から120年以上も前の1883年10月4日、パリ・ストラスブール(現在のパリ・エスト)駅は、噂の列車を一目見ようと押し寄せたパリっ子たちの興奮と熱狂の渦に包まれていた。

噂の列車とは、「オリエント急行」。パリ発コンスタンチノープル(現イスタンブール)行き、その一番列車であった。イスタンブールは昔も今も、アジアの玄関で、遥かなる“オリエント(東方)”へ向かうことから、「オリエント・エクスプレス」と名づけられたのである。

パリっ子たちを興奮させたのは、初のアジア直通列車、という理由だけではなかった。これまで誰しもが見たこともない豪華列車だったからだ。床にはトルコ絨毯が敷き詰められ、壁は絹張り、内装にはマホガニーという格調の高さを誇り、食事はフルコースであった。

重厚感あふれるダブルキャビンのインテリア。
夜間は二段ベッドがセッティングされる。

やがて19時30分、オリエント急行一番列車はオーケストラが行進曲を奏でる中、大観衆に見送られ、歴史的なスタートを切ったのである。ちなみに、一番列車のパリ〜コンスタンチノープル間の所要時間は81時間30分、乗車料金は召使いの給料の一年分に匹敵したという。つまり召使いを雇える上流階級しか、乗車は叶わなかったというわけだ。

失恋の感傷旅行で

このオリエント急行を考案したのは、ベルギーの青年、ジョルジュ・ナヘルマッカーズであった。そのきっかけとなったのが失恋というからおもしろい。

ジョルジュは、ベルギーきっての名門ナヘルマッカーズ家の長男として生まれる。頭脳明晰で、名門リエージュ大学に二番の好成績で入学。誰の目から見ても順風満帆な跡取り息子だった。ところが、成績は落ちる一方。なぜなら従姉妹に許されぬ恋をしてしまったのだ。ベルギー王室の顧問をも務める父親エドモンドは、このスキャンダルを見逃すわけには行かず、二人の中を引き裂く最良の手段であるアメリカ旅行を命じたのであった。

(右)食堂車4141号「コート・ダジュール」の壁面を彩るルネ・ラリックのガラスのレリーフ。
(右)こちらは食堂車4110号「エトワール・デュ・ノール」のマーケットリー、寄木細工である。

傷心の内に、新大陸アメリカに渡ったジョルジュを待っていたのが、大陸横断鉄道のプルマン式寝台車だった。広大なアメリカではヨーロッパより早く、快適な寝台車が実用化していたのである。

VSOEのルートマップ。メインのルートはロンドン発パリ、インスブルック経由ベニス行きだが、季節によってローマまで延長されている。

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