豪華絢爛な乗客たち
|
アール・ヌーボー調のバーサロンカー3674号は「シンプロン・オリエント急行」時代の名車。ディナー以降は正装のドレスコードが適用され、着飾った紳士淑女らが「走るヨーロッパの社交場」を演出する。
|
ことに、第一次大戦と第二次大戦の間、年代で言えば1920、30年代にかけてはさまざまな芸術が開花したベルエポックの時代と呼ばれるが、オリエント急行の装飾芸術も頂点に達した時代であった。運行もオリジナルのイスタンブール行
き「ダイクト・オリエント急行」の他に「シンプロン・オリエント急行」、「アールベルグ・オリエント急行」、「オステンデ・ウィー
ン・オリエント急行」と、合計4本ものオリエント急行が同時に運行される、まさに黄金時代であった。
アガサ・クリスティ
(1890-1976)
のちに映画の原作にもなった『オリエント急行の殺人』を発表した
|
常連客にはルーマニアのキャロル国王、マリ女王、ギリシャのゲオルギス国王、ブルガリアのボリス三世など王侯を筆頭に、各国の貴族、高級官僚、外交官、大富豪、小説家、そして時にはスパイと、車内はまさに「走るヨーロッパの社交場」と化していた。
アガサ・クリスティが『オリエント急行の殺人』を発表したのもこの時代、1934年のことである。アガサは夫君である考古学者マローワン教授の遺跡発掘調査のお供で、実際に「シンプロン・オリエント急行」に何度も乗車している。オリエント急行が大雪に閉じ込められる事故は1929年にトルコで発生したが、小説のような殺人事件は起きていない。 |