50歳未満お断り!STAGE
紳士と淑女の知的コミュニティ
トップページ コミュニティ はたらく イベント お得情報 ショッピング 文字サイズ 文字大 | 文字中 | 文字小  印刷する
 旅行 | エンターテイメント | 美容・健康 | 恋愛・性 |  | 住まい | パソコン教室 | マネー・経済 | 商品開発 |
 生涯現役大学 | 介護 | ランキング | Q&Aコミュニティ | リンク集 | メールマガジン |
トップページ > 旅行 > コラム【海外旅行】 > オリエント急行物語(2/3)

華麗なる歴史を走り抜けた「青きプリマドンナ」オリエント急行物語

ヨーロッパ式の寝台個室

食後の愉しみ、フロマージュのサービス。ブルー、コンテ、カマンベール、ピエールロベール、ゴルゴンゾーラなど、多種多様のチーズが賞味できる。

およそ一年半後、失恋の痛手も癒え、故国ベルギーに帰国したジョルジュは、アメリカのプルマン式寝台車にヒントを得て「ワゴンリー(国際寝台車会社)」を創設する。ワゴンリーとは、フランス語で寝台車を意味する普通名詞だったが、やがて豪華寝台列車の代名詞として定着することになる。

ワゴンリーの寝台車には、ジョルジュがアメリカ旅行中に思いついたさまざまなアイデアが注がれていた。例えば、アメリカの寝台車は中央に通路があって、その両サイドにカーテンによって仕切られたベッドが並ぶ「プルマン式」だった。ちなみに日本でも、明治33年に登場した最初の寝台車が、このプルマン方式である。けれども、カーテン1枚だけのプライバシーはヨーロッパの人たちにはとても受け入れられない。そこでジョルジュが考案したのが、窓側に通路があり、横手方向に個室が並ぶコンパートメント方式寝台個室だった。

ワゴンリーの寝台車と食堂車だけで編成されたオリエント急行は、当然の如く大好評を博すことになる。

(左)ランチの前菜、蒸したスズキとアスパラ、キャビア和えのサワークリーム添え。この後のメインディッシュではチキン胸肉と伊勢エビが並ぶ。
(右)イニングテーブルを彩るワイングラス。列車が揺れても倒れることがないように配慮された安定デザイン。

豪華絢爛な乗客たち

アール・ヌーボー調のバーサロンカー3674号は「シンプロン・オリエント急行」時代の名車。ディナー以降は正装のドレスコードが適用され、着飾った紳士淑女らが「走るヨーロッパの社交場」を演出する。

ことに、第一次大戦と第二次大戦の間、年代で言えば1920、30年代にかけてはさまざまな芸術が開花したベルエポックの時代と呼ばれるが、オリエント急行の装飾芸術も頂点に達した時代であった。運行もオリジナルのイスタンブール行 き「ダイクト・オリエント急行」の他に「シンプロン・オリエント急行」、「アールベルグ・オリエント急行」、「オステンデ・ウィー ン・オリエント急行」と、合計4本ものオリエント急行が同時に運行される、まさに黄金時代であった。

アガサ・クリスティ
(1890-1976)
のちに映画の原作にもなった『オリエント急行の殺人』を発表した

常連客にはルーマニアのキャロル国王、マリ女王、ギリシャのゲオルギス国王、ブルガリアのボリス三世など王侯を筆頭に、各国の貴族、高級官僚、外交官、大富豪、小説家、そして時にはスパイと、車内はまさに「走るヨーロッパの社交場」と化していた。

アガサ・クリスティが『オリエント急行の殺人』を発表したのもこの時代、1934年のことである。アガサは夫君である考古学者マローワン教授の遺跡発掘調査のお供で、実際に「シンプロン・オリエント急行」に何度も乗車している。オリエント急行が大雪に閉じ込められる事故は1929年にトルコで発生したが、小説のような殺人事件は起きていない。

オリエント急行が登場する映画

『オリエント急行殺人事件』(1974年・英)
名探偵ポアロ がオリエント急行の中で起こった殺人事件の謎を解く。イン グリット・バーグマン、アンソニー・パーキンスほか豪華キャスト。
 

『007 ロシアより愛をこめて』(1963年・英)
ショーン・コネリー演ずるジェームスボンドが オリエント急行内で殺し屋と対決するシーンがある。

  次のページへ >>
ページトップへ↑