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トップページ > 旅行 > コラム【海外旅行】 > オリエント急行物語(3/3)

華麗なる歴史を走り抜けた「青きプリマドンナ」オリエント急行物語

華やかな時代の終焉

バーサロンカーのスタッフ。早朝のモーニングコーヒーに始まり深夜のバータイムまでとVSOE22両編成の中でもっとも多忙な車両である。

けれども、第二次大戦後「オリエント急行」の乗客は徐々に減り始めた。戦争によって急速に発達した航空機技術が、旅客機の開発に拍車をかけ、ヨーロッパの主要都市間を飛び始めたからである。 開設当時は パリ〜イスタンブール間のもっとも速い交通手段だったオリエント急行も航空機の台頭には勝てなかった。1971年にはワゴンリー社が寝台車事業から撤退し、その後を追うように77年5月、オリエント急行は94年間にわたる栄光の歴史の幕を降ろしたのであった。

(右)VSOEのスチュワード。金モールで縁取られたブルーのユニフォームは1900年代初頭に制定されたワゴンリー乗務員のオジリナルデザイン。
(右)ランチタイムの食堂車。(右)ワインを手にするのがレストラン・マネージャーのミケーレさん。日本のテレビ番組に何度も登場した有名人。

ところがである。運行中止から5年後の82年5月、オリエント急行は不死鳥のように再びよみがえった。その名は、「VSOE(ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス)」。復活の立て役者はオリエント急行をこよなく愛する米国人ジェー ムズ・B・シャーウッド氏、今日のVSOE会長、その人である。

彼は77年10月にモンテカルロで行なわれたワゴンリーのオークションで2両の寝台車を落札したのをきっかけに、ヨーロッパ各地を訪ね歩き、35両のワゴンリー を譲り受ける。けれども、そのほとんどが半ば朽ち果て、もはやオリエント急行と呼べる状態にはほど遠かった。そこで5年の歳月と30億円もの私財を投じ、オリ エント急行がもっとも栄光に満ちていた1920〜30年代の姿に忠実に復元したのであった。

(右)現在のベニス・シンプロン・オリエント急行のポスター。
(左)「マダム、お手をどうぞ」終着駅ベニス・サンタルチア駅に到着。

今、古き良き時代へ

かくして再び、オリジナルのオリエント急行が運行されることになった。今日のルートは、ロンドン始発、パリ経由、ベニス行き。往年の「シンプロン・オリエント 急行」のルートを基本に、もっとも車窓風景の美しかった「アールベルグ・オリエント急行」のルートを一部加えた風光明媚なルートである。

ロンドン〜ベニス間は約1750km、所要時間は約30時間、車中1泊2日の旅程である。乗車料金は26万9000円。安くはないが、召使いの1年間の給料に匹敵 した時代から思えば無理のない料金と言えよう。王侯、貴族でなくとも「ヨーロッパの走る社交場」と謳われた、オリエント急行の旅を享受できるのだから。

華麗なベルエポック時代

開業当時のオリエント急行。

 
「レールの上の宮殿(パレス)」とも呼ばれたワゴンリー豪華特急のポスター。1898年当時のもの。

 
開業当時の食堂車。料理はすべて車内の厨房で作られた。当時のフィガロ誌は料理の素晴らしさを絶賛したとい
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