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オランダ・ベルギー花紀行
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オランダ史の中で、チューリップがクローズアップされるのは17世紀。
1602年に設立された東インド会社は、東西交易による莫大な利益をもたらし、まさにオランダは繁栄時代を迎えていた。そんな華やいだ風潮の中、莫大な富を手にした人々の間で流行したのが、大きな庭や農園で珍しい植物を栽培することだったという。
なかでも人気が高かったのが、チューリップだ。16世紀後半にオスマン朝トルコからヨーロッパにもたらされたチューリップは、中近東の人々がかぶる ターバン に似ていることからその名がつけられた。鮮やかな色彩と異国情緒は、当時のオランダ人にとって、このうえなく魅力的に映ったのだろう。庭におびただしい数のチューリップを咲かせることは、やがて人々にとって究極のステータスになっていく。
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チューリップの中でも、特に人々を熱狂させたのが、ブロークン・チューリップと呼ばれる斑入り模様の花。赤と白の縞模様の「センペル・アウグスツス」はその象徴とされる花である。
ブロークン・チューリップの魅力、それは美しさだけではなかった。100個の球根を植えても、斑入りの花が咲くのは、たった1、2本。しかも変わった模様の花であればあるほど、生命力が弱く、すぐ枯れてしまう。そんな希少性や儚さがさらに人々の所有欲をあおったのだ。
種明かしをしてしまうと、ブロークン・チューリップとは、実はアブラムシが運ぶウイルスが原因で起こる 病気 だった。しかし、それが判明したのは20世紀に入ってからで、そんなことを知らない17世紀の人々は、ブロークン・チューリップの球根を競って買い集め、これが価格の暴騰を招くことになる。チューリップ狂時代の始まりである。
チューリップ狂時代の最盛期にはたった1個の球根が、多額の現金に2頭立ての馬車、象牙で飾られた高級家具、高名な画家の絵などをつけて交換されたという記録が残っている。
しかし、チューリップに熱狂したのは、一部の金持ちだけではなかった。本物を手に入れることができない庶民は、絵に描いたチューリップを飾ることで、その欲求を満たした。この時代に活躍したレンブラントやヤン・ブリューゲルなどの著名な画家たちも、斑入りのチューリップの絵を描いており、おかげで私たちは現在、オランダ国内や世界の美術館で彼らの描いた素晴らしいチューリップを見ることができるのだ。
このチューリップ狂時代が続いたのは、1634年から1637年にかけてのわずか4年あまり。ある日突然、球根の価格が下落を始めたのを機に、バブルは弾け、多くの人々が破産した。
だが、そこでチューリップを見捨てなかったのが、オランダ人の偉大なところ。彼らは栽培を続け、新品種を次々に生み出し、やがてその球根や切り花を海外に輸出するようになった。現在、オランダは世界一位の球根生産国になっている。
堅実な国民性のオランダ人が、我を失ってしまった狂乱の時代は、歴史家や経済学者にとって今も謎のままだ。しかし、あの時代にオランダの大地で育てられたチューリップの子孫が今、世界中の花好きを楽しませていることだけは確かなようだ。
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